「終活」この言葉が認知されるようになって、久しくなりました。

夕方の情報番組などで特集される事も、増えました。

「親の家を片づける」なんて番組もありますね。

本当に、人一人暮らしている住み家を片づけるって、途方もなく、大変な事です。

なんで終活は必要なのでしょう。

私は、1度実家の家じまいをしました。

母が亡くなり、一人暮らしを7年続けた高齢の父も亡くなり、住む人がいなくなった実家は、近所の方達から、「放火が心配」「不審者が入り込んだら危ない」などのクレームが上がり、その頃やはり病気で亡くなった、隣の家の大家さんの遺族と相談して、2軒一緒に取り壊す事になりました。

母が亡くなった時は、まだ父も元気で動けていたので、母の持ち物は父が処分しました。

それでも、男の父にとって関心が薄かったのか、一人暮らしには多い食器などは、そのまま残されました。

母は、あまり物に執着しない人だったので、古くなれば捨て、新しい物を買い、溜め込む事も少なかったのです。

それでも、着物や服、小物などあり、それなりにゴミの日に出して、終える事が出来ました。

その後、大変だったのは、父が亡くなった後です。

父は、母の時の事もあり、普段から少しずつ物を処分し、長年大工をしておりましたから、使える道具などは、知り合いの人に譲ったり、私に残してくれるよう選別していました。

そんな風に、物を減らしていた父でしたが大好きだった時代小説とか、毎日聞いていた民謡のカセットテープなど、結構な量ありました。

元々狭い小さな家で、収納場所もあまりなかったのですが、それでも押入れの中をカラッポにするだけでも、中々の作業量です。

父が亡くなった時は、その程度で、家の中の家具はそのままで、中身をカラッポにしただけでした。

洗濯機、冷蔵庫などの家電品も、中身を出しただけでした。

「そのうち、ボチボチ片づけよう」と思いながら。

そうこうする内、家の取り壊しの話が出たので、今度は本当に、家全体をカラッポにしなくてはならず、大変な作業でした。

10年以上乗っていない、錆びた自転車。。。父は、「いつか乗る」と言っていました。

知人が「いらない」と言ったので、収納庫かわりに貰って使っていた冷蔵庫。

冷蔵庫が2台ありました。捨てる大変さも考えず。。。(苦笑)

何気なく、「いつか捨てよう」「いつか使う」と置いておいたものが、膨大なゴミとなったのでした。

父が毎晩手入れをしていた道具類の数点は、大工箱と一緒に私が引き取り、その他すべては、処分しました。

それらをゴミ袋に入れながら、「昨日まで使っていた物が、亡くなった瞬間、ゴミになるんだな」と理解しました。


亡くなった人が、どんなに愛していても、どんなに大切にしていても、その人以外の人にとって、同じ価値があるか、というと難しいです。

そしてまた、物は「体積」がある。場所を取るのです。

とても広大な土地に、大きな物置があったとしても、人一人一生分の荷物を仕舞ってはおけないのです。

亡くなった人が大切にしていたものが、亡くなった瞬間「ゴミ」になる、これも現実です。

自分がこの世を去る時、愛した物がゴミと呼ばれない為に、生きているうちに、「これは、私が生きているうちに、とても愛していた物だから、出来ればこれからも愛してあげて欲しい」というメッセージを込める事、これが『就活』では無いでしょうか。

なぜ、物が溜まるのでしょう。

それは、簡単。

減らさないからです。

1つ増やしたら、1つ減らす、を守っていたら、物の数は同じまま。

1つ増やしたら、2つ減らししていけば、物の数は減って行きます。

判ってはいるけど、出来ないでしょう!?と思いますよね 。

それは、「なんとなく買って」「なんとなく家に置いている」から、増えていくのです。

たとえば、食器。

ハウスクリーニングという仕事柄、沢山のお宅の台所を見て来ましたが、どこのご家庭も、食器が沢山ありますね。

食器は、4組か5組でセットになってる事が多く、両親と子供2人の家族にちょうど良い。

でも、普段は、セットの食器なんて使いませんよね。

お正月とか、来客があった時とか、年に数回使えば良い方です。

お子さんも、小さい時からキャラクターの付いた食器を使いたがったり、大きくなれば自分の好みの食器を使いたがったりして、少しずつ増えていきます。

基本、割れでもしない限り、捨てないですよね。

そこへ、贈答品などでいただいたセット食器などが加わり、食器棚も大きい物を買うと、隙間を埋めたくなるものです。

老夫婦だけの世帯、または高齢者のお一人暮らしのおうち、なのに、食器の数は、家族が揃っていた時のままなのです。

もう使う時は無いと思われる数の食器、もう重くて取り出す事も大変そうな、家族用の土鍋。

それらが、そのまま体積している暮らし。

それらの中には、大切なものもあるでしょう。

愛した物もあるでしょう。

でも、今、それを見つけられますか?すぐ使う事が出来る状態になっていますか?

それらをまず見直し、最後の時まで愛して使い続ける。

そして、それらを自分亡き後も、愛してもらう事。

それが、終活で行う事です。

 


おそうじふくふくでは、終活のお手伝いのサービスを始めました。

女性高齢者のお一人暮らしが多く、女性は荷物が多い。

いつか着るかも、と思っている洋服。もう、「いつか」を考えない様にしましょう。

今、着て出掛けたくなるような服だけ、残しましょうよ。

着物、高価なものが多いだけに、捨てられない物、第一位ですが、着物を着る体力、残ってますか?

いる人にあげようと思って。申し訳ないけど、どんなに親しくても、ずっと押入れの隅にしまわれてた物は、欲しくないです。

今、喜ばれる物を贈りましょう。

一人でやっていたら、日が暮れるまでやっても、片付かない。

じゃぁ、後は明日・・・って、次の日も同じ事やりますか?

思い出話したりとか、たまに休憩して、お茶飲んで、お菓子食べて、笑って、楽しい時間を過ごしながら、終活の第一歩の片づけを始められたら良いなと、思っています。

 

おそうじふくふくの、終活お手伝い

料金:作業時間 3時間 10,800円(税込)~